三好クリニック 青山・表参道

内科・循環器・高血圧・不整脈

魂の重さ

私の中学校からの友人でとてもゆっくり言葉を話す人がいます。 大人になって久しぶりに会ってみると、ゆっくり口調はあまり変わっていないので、皆で安心したりします。 反対にとても早口な人もいらっしゃいますよね。 早口すぎて時々何を言っているのだかよくわからなくなったり、ゆっくりの人はそのゆっくりの口調が気になって、後になって思い出すのはその話の内容よりも、その話し方の印象の方が強く残っていたりすることってありませんか?

会話のスピードや思考のスピードがほんの少し異なると、それだけでコミュニケーションがうまく取りにくい。 それは医者と患者さんの間にも起こります。 とてもゆっくりと喋る患者さんから、早口でよく聞き取れない患者さんが、最後の方は独り言みたいな感じになっちゃう人もいたりします。 「そこから話始めますか・・」というようなあまり脈絡のなさそうな話から入って、最後にその病気の症状にたどり着く患者さんもいますし。 こちらから積極的に聞かないと、座った早々に「かわりませんね」の一言で済ませてしまおうとする患者さんもいらっしゃいます。 患者さんによっては、人生の始めから猛烈なスピードで語り始める方もいらっしゃいますし、自分の言葉でゆっくりと、病気のことを語られる方もいらっしゃいます。 ゆっくりと喋る患者さんには、身内の付き添いの方がついてこられることが多いように思います。 付き添いの方が本人の話を途中で遮って、お話を始めてしまって、本人が途中から黙ってしまったりする場合もあります。 単位時間に多くの情報を発信する早口の人が必ずしも理知的ではなかったりすることもありますし、ゆっくりもっさりしゃべる人が、愚鈍ではなかったりしますね。 言葉を話すスピードが遅いか早いかは、その人の心の性質や魂の価値とは全く異なるものだと思います。 極端な病気の例を挙げると、言葉をしゃべる能力だけがなくなってしまったり、全身の筋肉が動かなくなる病気があります。 その事を知らなければ、患者さんを魂のない物体のように扱ってしまうことがあります。 たとえ一言もしゃべらないからといって、その人に魂が無いわけでは無いですよね。

どういった喋り方が最も適切な喋り方なのか、私にはよくわかりません。 たた診察の時間が十分あるとこちらの心に余裕もあり、会話のスピードとは関係なく、患者さんの言葉に魂の重さや魂の性質を感じる瞬間があります。 それは医者の勝手な思い込みなのかもしれませんが、私はそういう時間が好きです。 なので予約時間いっぱい使って患者さんの話を聞いてみたいなと思うわけです。 しかし、忙しかったり、辛かったりして、その時に自分に余裕が無いときには相手の魂を感じることができなくなり、回りくどく話をしてしまう人や、ゆっくり話してしまう患者さんに対して、不本意にもイラッとしてしまったり、あるいはあまりにも早口で多くの情報を一度に話そうとする患者さんの話に圧倒されて、思考停止に陥ってしまい、器械的な対応をしてしまうことがあります。

そしてその反対側の現象も起こっているはずです。 病気の症状が辛かったり、将来の心配等のために、心に余裕がなくなってしまっている患者さんに対する時、私の声は余りにも滑舌や通りが悪く、出身地の言葉のなまりがあり、その喋り方が患者さんの耳についてしまって、十分こちらのお伝えしたい意図が伝わらなかったりすることがあるのではないかなと思います。 私の経験的に、医者や教育の現場では、こちらが話したことは、一回でだいたい30%ぐらいが伝わっている様に感じます。 それが普通なのだと思います。 なのでできるだけ簡潔に、そしてできるだけ平易な言葉で、何回も違う言い回しで説明するように意識していますが、それも待合室が混雑して来ると、どれだけうまくできているか自信ありません。

会話のスピードがちょっと違うだけで、意思疎通が難しくなるのですから、コミュニケーションというのはとても難しいものなんだということがわかると思います。 少しゆっくり喋るだけならなんとかなるでしょうけれど、 例えば相手が、自分の半分ぐらいのスピードで話したとしたらどうでしょうか? それでもゆっくり耳を傾けることもあるかもしれませんね。 でもきっと話の途中でその人の言いたいことをこちらで勝手に要約して相手の話を遮ってしまうんじゃないでしょうか? さらに4分の1ぐらいのスピードだったら? きっと10分の1ぐらいのスピードで話していたら、その人が言葉を喋っているのか呻いているのかわからないですよね・・。 ヒト以外の生物は言葉の代わりに行動で自分たちの意志を示そうとします。 イヌやネコになんとなく感情があるのはみなさんわかりますよね。 クジラやイルカだって同じです。 それは彼らの行動や行為の時間感覚が我々人間の理解できる範囲内のスピード、言い換えると「生物学的時間」とでもいうのでしょうか? それを持っているからなのだと思います。 それより早すぎたり、遅すぎたりするときっと人間にはその活動に魂があるのかどうか、心があるのかどうか判断することは難しいはずです。 例えば、植物に話しかけて育てるとよく育つと言うことを聞いたことがあるでしょう。 植物は育つと言う行為を介して、人と魂のやりとりをしているのではないかなと思ったりします。 ただ余りにもゆっくりすぎて、人間側が注意深く観察しないとわからないぐらいなのではないでしょうか。 反対にゴキブリや蜘蛛や蚊などの昆虫は、たたきつぶそうとするとその風圧を感知して、たたく直前にすり抜けていきます。 彼らの生物学的時計はもしかしたら人間よりもっと早すぎて、彼らの世界では人間や脊椎動物はほとんど止まっているように見えているから意志疎通がないだけで(人間が植物をみるような感覚で)、やっぱり心や魂はあるのではないかと想像したりしてみます。 脳が小さいだろうとか脳が無いとか言う反論もありますが、心や魂が脳にあると言う科学的な根拠はありませんので、脳の大きさと魂の性質には関係がないと思います。 
ここまで話を大きく広げてしまいましたが、ゴキブリの魂と共感したいわけではありません。 将来もしも共感することがあったとしたら、その時はきっと医者を辞めていると思いますので安心してください・・・
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